暇はあるが金がない(といっても、生活費には全く困っていません。 遊興費がなくて退屈してるという程度の)ワル学生4人組は、悪い金儲けを企みます。 吉祥寺でやってる川崎競輪のノミ屋のウラをかく方法です。 つまり、吉祥寺のノミ屋が川崎での競輪の結果を知る前に、 レース結果を入手して、当たり馬券を大量購入してしまおう というものです。 綿密に準備して、仲間を一人増やして。
そして運命の第6レース。作戦は大成功!
かくて配当金34万円をせしめた!!(^o^)
‥と思ったものの、
なんとノミ屋の松居鉄太郎(葉山)には払う金がない。とりあえず20万円は
支払ってもらったものの。残金はなんか踏み倒されそうな気配‥。
‥と、ここまでは ちょっとワルな学生たちが 得意の悪知恵を駆使してヤクザから大金をせしめるという、 ちょっと爽快感のある展開だったんですけど。 ここからちょっと雲行きが変わってきます。
さてストーリー展開ですけど。 戸田(梅野)をリーダーとする ワル学生どもも、泣き寝入りする気はサラサラありません。 目をつけたのが、ノミ屋松居の妹・京子(芦川)。 京子をさらって拉致して借金のカタにします。 ここで一味は作戦をたて、 壮二(アキラ)を一味とは関係ないフリをさせノミ屋のスパイにします。
しかし。しかしここで壮二は見てしまうのです。
ノミ屋の松居家はガチ貧乏で、支払う金なんて、
とてもないことを(ヤクザなのに‥)。
病弱の母親と、鉄太郎と京子の3人で、じつに慎ましい暮らしをしていることを。
‥‥やべ。ここまで見てて、なんか悪い予感しかしないぞ。
でもヒロインが芦川いづみさんだからなー。
そんなに悪い扱いにはならないと思いたいけど、なにせ太陽族だからな‥
(ここまで約60分)
と思ったのも束の間。あああ‥。
カズ(真澄)、氏ね
一方の、追い詰められたノミ屋の鉄太郎。金策の合間に、 つい魔がさして ひったくり犯となり逃走してしまいます。 このことを知って青ざめるワル学生ら。 ワルなくせに皆いいとこのボンボンで、自分の経歴に傷がついて 就職できないとヤバいかも、なんてことは人一倍思ってるわけです。 なので京子を解放することになるのですが。 この解放の際、うっかり壮二が一味であることがバレちゃうのです。 またカズか‥
「騙したのね。‥私、騙されたのね」つい俯いてしまう壮二。その態度が、雄弁に真実を語ってしまってます。 また同時に壮二も、京子の態度がおかしいことから、拉致の最中に 何かあったのでは? という疑いを持ちます。 そして、京子が自分のことを好きだったということも知らされるのです。 しかし自分がグルとばれてしまった以上、 京子を追っては行けません。‥‥‥。
鉄太郎のいない部屋に戻った京子が見たのは、 持病の心臓病ゆえに 亡くなってしまったばかりの母親の姿でした。 すごい不幸と悲劇の連鎖‥まるで映画みたいだ。いや映画だよ。 京子の絶望はどれほどのものだったのでしょうか。 その夜、京子は母の隣で睡眠薬を飲んで自殺してしまいます。 あああ‥
残された壮二。拉致の最中、京子に何があったのかを知ってしまいます。 しかし戸田に「競輪の一件とこれを切り離して考えるのはよせ。 誰を責めるわけにもいかねえ。俺たちは仲間なんだからな」 「そうだぞ。俺たちは共犯者なんだ。おまえはそんなことに腹を立てるほど 模範学生か!」などと仲間たちに逆に責められる始末。 (いやいや、人を自殺に追い込んどいて「そんなこと」はないでしょう、 ‥なんて突っ込みはヤボですね。映画だし。) しかし 「誰だってこのことがこんな形で終わろうとは思ってもいなかったんだから」 と戸田が言ったのに対し、反撃に出ます:
「思ってなかった‥‥でも、やったんだ」 「俺はやらないと言ってるだろう!」 「‥‥じゃあ、あんた。何故止めなかったんだ? そんなこと言ったって、責任逃れにはならないぜ。 自分がやらなかったからと言って逃げるのは、戸田さん、 あんたみたいな利口者にはよくある手だ。 でも、そいつは卑怯だぜ。戸田さん、あんた卑怯者だ!」まあ、最終的にできあがった映画版では、京子が暴行されたそのとき、 その場にはカズしかいなかった訳ですから、 他の人たちは止めるも何もなかったんですけどね。 ‥と、それはともかく。壮二はワル学生一味との絶縁を宣言して、 アジトから出て行くのでした。
数日後。復讐鬼となった鉄太郎が 戸田を刺殺して復讐を 果たし、自首します。しかし幸か不幸か、 鉄太郎はワル学生一味の全体像を知ってるわけではなかったですので、 戸田のことしか供述しなかったみたいです。 ということはつまり、刺殺された戸田以外のワル学生らは、 一切お咎めも何もナシ、ということです。 でも壮二の心の中には何か割り切れないものがあったようで、 そして‥
orz
(-_-)
「『輪姦』といっても単に謀議してるだけで、ヘアがどうとか、
性器がどうとか、全然関係ないし!」とも思ってしまうのですが、
当時のことを考えると仕方ないですかね。1955(昭和30)年に
石原慎太郎の小説『太陽の季節』が発表され映画化もされ
「太陽族」がブームになり社会現象までになった。
しかし当時としては(今としても部分的には)どう見ても
「やりすぎ」な太陽族映画は諸方面からかなり強いバッシングを受け、
諸方面からの圧力に耐えかねた映画各社が「映倫」に基づく自主規制を
強めることで、諸方面からの圧力を乗り切ろうとした
--- そんな時代の流れの中、石原慎太郎原作の、太陽族映画の本流としか
言いようのない本作を自主規制せずに一体何のための映倫か?
みたいな話になりますからね、どうしても。
^^;
。なので一枚だけ借りるより7枚借り(送料300円)が理想)(支払いはクレカ/Edyなど)