[かんのんさま::メモ]

かんのんさまは南に西に

[梵文法華経/24:かんのんさまの章] に関する「めも」です。

[前] 南か西か‥

地獄に観音様(中国・清初)

中国の蒲松齢『聊齋志異』(17c, 清初)という物語集の中に、観音様が地獄に出現! ‥という話を見つけましたので、紹介させてください。

 死後、地獄庁(閻魔庁?)のある町に入った張訥という男が、 行方不明になっていた弟・誠がもう死んでいるなら会えるはずと考え、 弟を探しまわっている場面です。そこに観音様が出現します。

町の中には、来たばかりの亡者や前からいる亡者が行き来していて、なかに知った顔もあったので 尋ねてみたが、誠のことを知っている者はたえていなかった。
 と、にわかにあたりがざわつき、みなが口ぐちに、
「観音さまのおでました」
 と言っているので、振り仰いで見ると、雲のなかに大きな人が立っておられ、後光が天地に みちみちて、地獄の庁がまるで昼のようにからりと明るくなった。走無常は、
「訥さん、あんたは仕合わせ者だ。観音さまは何十年に一度、この冥界にお下りになって、 諸人の苦患を祓ってくださるのだが、今日がその日に当たったんだよ」
 と言うと、訥の手をとってともにその場に跪いた。亡者たちもてんでにその場に跪いて合掌し、 慈悲救苦の声が天地にどよもした。菩薩は楊柳の枝を手にされて甘露をあまねく注がれたが、 それは塵のように細かかった。
 たちまち霧がおさまり光りも消えて、菩薩の姿も見えなくなった。訥は首すじに露がかかった のを覚えたとたん傷口の痛みがすっと消えた。走無常はそこで訥を連れて帰り、村の門が見える ところまで案内するとまた地獄の庁へ戻っていった。 (2-31張誠) (立間祥介編訳(2010)『蒲松齢作 聊斎志異』ワイド版岩波文庫321., pp.上279--上280)
ちなみに、この「甘露」なるものを浴びた訥は「村」に戻った、つまり息を吹き返すんですけど。

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日本だと「お地蔵様」

 ここでは観音様は「地獄庁」に出現しています。ただし「地獄」とはいうものの、 往生要集などで知られる地獄、たとえば黒縄地獄とか阿鼻地獄とかではなく、 地獄を司る閻魔様の庁舎がある町ですから、厳密には「地獄」とは違うかもしれませんが‥。 地獄に足を運んで 苦しむ人々を救済される方といえば現代日本では普通「お地蔵様」 (というか、たぶん元々は「かんのんさま」だったのを「おぢぞうさま」が取って替わった) ですけど、 やっぱり中国では「かんのんさま」なんですね。 ただ日本でのお地蔵様の地獄めぐりは基本、毎日なんですけど。ここでの観音様の地獄庁への出現は「何十年に一度」とされてます。 ちょっと期待されなさすぎじゃないでしょうかね(^_^;

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救済とは「生き返り」

 それともう一つ気になったのは、観音様の「救済」の中身です。甘露を注がれて、それを 浴びたことによって生き返ることができた。 ‥つまり救済とは「現世への差し戻し」ということになりますよね。これは「かんのんさま」の 救済としては、どうなんでしょう??

 でも、この「生き返る」という結果は、観音様どうこう、という話ではなくて、 単純に中国人的な発想ということかもしれません。 『聊齋志異』の別のところにも、類似のエピソードがあります。どんな感じかというと。 生前の罪業によって成仏(?)できないでいる幽鬼(?)にお願いされて、 功徳を積むため 金剛経を一蔵の数(5048遍)誦経してくれ、とお願いされた男がいます。 男の努力の結果、5年後に‥

「誦経していただいた金剛経が一蔵分に達したのです。お蔭さまでわたくしはこのたび河北道の盧という戸部尚書(財務長官)の家に生まれ変われることになったのです。」(3-02盧公女) (立間祥介編訳(2010)『蒲松齢作 聊斎志異』ワイド版岩波文庫321., p.上328)
このような功徳が得られています。おかげさまで、富貴の家に生まれ変わることができた‥ これが誦経の功徳として語られているんですけど。日本だと、それほど頑張って誦経したら 「極楽往生」しちゃうんじゃね? とか思うと、やっぱちょっと世界観の違いを感じますよね[*1][*2]。 インドとかだとたぶん「生天」(天界に生まれる)かなー、とか思いますと、 三者三様というか何というか。 中国はやっぱ現世志向で、それが「観音様」の救済の形にも出てるんでしょうね。


*註1
ちなみに。日本でも「極楽往生」がブームになる前の『今昔物語』などの文献では、 お地蔵様の地獄救済といえば「蘇生」、つまり「現世への差し戻し」というパターンが 結構あるようです[URL]。 これってやっぱり「最初は、中国の影響があった。そののち、浄土思想の広がりとともに 我が国オリジナルな方向(彼岸的方向)に変わっていった」ということなんでしょうか。
*註2
同じ『聊齋志異』の別のところでは、冤罪で捕われた男の再審を求めて 直訴に及んだ幽鬼が、 その結果、「閻魔王にその義挙をめでられて、富貴の家に生まれ変われることになりました」 (6-14小謝) (立間祥介編訳2010, p.下135) というシーンが出てきます。 ‥‥あれ? 義挙と誦経の果報は基本的に同じということ??
 さらに『聊齋志異』を見ると、こういうのも見つけました。まずストーリー展開を簡単に 説明しておきますと、これは所謂「地獄の沙汰も金次第」の悪い方、つまり生前敵対していた相手に 無実の罪を着せられた男の息子が、父の冤罪を訴えて冥途の偉い人たちに訴えていくものの、 知府や城隍神や閻魔王などはすでに買収済のため逆に拷問され続ける始末。しかし最終的に二郎神が 助けてくれる‥そういう感じの展開なんですけど。その最後、二郎神が城隍神や閻魔王などに対して 出した判決文のうちにこんな文言が。「獄卒どもはすでにして鬼籍にあった者で、人の世の者ではない。 冥府において役務につき、善行を積んで現世への再生を願うべきところ、何とて苦海にいらざる 波乱を起こし、限りない罪業を重ねたのか」(10-12席方平) (立間祥介編訳2010, p.下299) ‥「善行を積んで現世への再生を願うべきところ」とありますね。また同じ話の別のところでは、 閻魔王が席方平の告訴を取り下げさせるための懐柔策として「そなたの父親の冤罪については、 すでにわしが晴らしてやって、富豪の家に転生させてやったから、これ以上、大声で訴えることも あるまい」(p.下295)ともあります。閻魔様に与えられた権限の枠内でできる最高のサービスが 「富貴の家に転生」ということなのかもしれないですね。
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